射撃レーダー照射についてワトソン君が気づいた内容だ。照射した韓国の駆逐艦は「広開土大王」という名前だが、この王は西暦374年から412年まで生きた高句麗の第19代の王だという。高句麗の領土を大きく”拡張”したと言われており、さらには在任中に当時の日本とも戦争を行なっていたことも分かった。こういう王の名前を軍艦につけることで、韓国の1919派が一体何を狙っているのかが明らかになったと言えるだろう。
目次
広開土大王は高句麗で22年間在位
あの、さっきの「広開土大王」なんですけど、今もう始めていいですか?
別にいいけど。
ちょっと宿題が増えてきてしまったので、忘れそうなのでここで1つ片づけておきたいです!ちょうど目新しいニュースがないので、いい機会だと思いました!
よし。始めよう。歴史の授業だ。「広開土大王」というのは何をした人物だね?
広開土大王は、高句麗の第19代の王です!西暦374年に生まれて、412年まで生きました!王としての在位は391年から412年です!
ほほう。意外と短命だな。わずか38歳で命を落としたことになる。
正確には39歳です!原因は分からないんですけど、在位中だったみたいです・・・。在位22年って長いですよね!
そうだな。始皇帝は紀元前246年から紀元前221年まで約25年間なので、かなり長い方だと思うよ。
在位中に「永楽」という年号を使用していたので、「永楽大王」とも呼ばれてるみたいです!
「永楽」って中華料理店にありそうな名前だな。
そうみたいです!広開土大王は、実際に今の中国地域まで支配下に置いてたそうです!
マジで?
西暦400年前後の朝鮮半島の地域について
広開土大王は在位中に、高句麗の領土を大きく拡張してるんです!
領土を拡張?どこぞのナポレオンや戦前のドイツみたいな話だね。
今の朝鮮半島の南側に向かって攻めてたみたいで、他に百さい?と加邪、新羅という国が当時あったそうです!
百さいwww 百済だよね?
そうそう、それです!何て読むんですか?
百済(くだら)だな。隣の加邪とは何だね?
加ににんべん、邪の左は耳です!
伽耶(かや)だな。変換では出てこない。加羅(から)とも呼ばれてるようだ。どちらでもいいと思う。
最初はもっと百済や新羅の領土が広かったんですけど、広開土大王になってからドンドン南へと侵攻をしていって、すごく狭くなってしまいました!
へー!すごく強い王だったんだね。
あと、加羅という地域の横には任那という場所があり、そこに日本人が住んでいたみたいです!当時朝鮮半島南部に設置した統治機関で、日本書紀にも書かれてるそうです!
いいね。話が徐々にコアな部分へと進んできた。
朝鮮半島でも、日本形式の前方後円墳が発見されてるんですか?
そうだよ。韓国の人達はその頃に日本統治時代があったことを認めたくないので、それらを解体してるという話も聞く。
加羅には大和朝廷から軍人や官吏が派遣されてたんですね!それが、高句麗との戦争に巻き込まれることになるみたいです・・・。
当時の日本は高句麗との戦争に負けてしまった?
高句麗との戦争?
「倭・高句麗戦争」という名前の戦争です!高句麗王の広開土大王が南へと攻め込み、倭の軍と衝突したって書かれてます。
どういう戦争だったんだ?簡単に経緯を書いてくれ。
高句麗と加羅の間にある百済は日本側についたんですけど、新羅は日本に攻められて困ってるので高句麗側に助けを求めたんです!これが西暦399年の話です。
なるほど。百済と新羅で対応に差があったわけだね。ちなみに地名の位置をちょっと分かりやすく書いてくれるかな?テキストでいいから。
こんな感じでいいですか?
高句麗
百済 新羅
任那加羅
十分だ。それで、高句麗に助けを求めた新羅はどうしたんだ?
翌年の400年には5万の兵を高句麗に送ってもらって、新羅を包囲していた日本軍を追い払ったんです!高句麗の軍はそのまま任那加羅へと攻め込んで、ついに攻め落としてしまったそうです!
マジかよ…。日本軍が返り討ちに遭った構図だ。
404年に、日本は仕返しとして今のソウルの西側にある海域から攻め込もうとしたんですけど、広開土大王は平壌から兵を出して打ち破ったそうです!
すげえじゃん。今では考えられない軍事力を持っていたわけだね。
でも、これらの歴史は全部「広開土王碑」に刻まれた文に基づいてるそうです・・・。これってホントなんでしょうか?
結構前にそういう話を見た記憶がある。学者の間でも諸説入り混じっていて、実際にはそんな侵攻はなかったのではないか、日本が百済や新羅地域まで完全に支配していたのではないか…とはっきりしない部分があったと思う。
そうなんですね・・・。
ちなみに高句麗側についた新羅だった地域には今何がある?
釜山です!それで、1919派は釜山を拠点にしようとしているんですね。
領土を”拡張”したがる王を軍艦の名前にする意味とは
韓国の人達はそういう歴史観を心の底から信じ切っており、広開土大王という名前は日本を何度も打ち破った強き王の名前として記憶されているというわけだ。ワトソン君、そんな王の名前を軍艦につける韓国の意図は何だろうね?
日本に対する猛烈な敵対心と、領土の拡張政策ですか?
そういうことになる。まず倭国、つまり日本が加羅という場所に支配地域を持っていたという話が1919派の言う“不法な植民支配”と重なる。そしてそれを追い払ったという部分が、韓国が日本と戦って自ら独立を勝ち取ったという主張と重なるね。
確かに!この戦争の経緯だけを見ると、まるで日本が朝鮮半島地域を不当に支配してたかのように感じます。
朝鮮半島でも民族的な歴史認識が広まり、当時の加羅における倭人支配自体がウソだったということを言い始めてる歴史学者もいたはずだ。日本が朝鮮半島を統治していたかどうかについての話が1919派の主張とリンクするね。あれは正式な統治ではなく侵略であり占領だった、だから我々は追い払っただけだ…とでも言いたいかのような。
それが、どうして軍艦の名前になるんでしょう?
日本を追い払ったという過去の実績を超えて、日本へのの侵略をいつか実現させたい…という野望からかな。こうして見てると分かるが、日本は少なくとも2度朝鮮半島地域を統治下に置いたことがある。朝鮮半島の人達が愛国心を発揮してるのは何も最近の話じゃない。何百年、それこそ1000年以上も前からずっと愛国心をむき出しにして日本を敵だと思い続けてきたというわけだ。
今までずっと攻め込まれてばかりだったので、いつかは攻め込みたいと思ってるんでしょうか?
あるいはすでに攻め込んでるという認識だったり…おっとこれ以上はまずいか。まあとにかくこんな王の名前を軍艦につけて、その軍艦が射撃レーダーを照射したということの意味を自衛隊はもう少し深く考えるべきだね。領土を”拡張”させる野望が見え隠れしている。前回は竹島だけで済んだが、今度は対馬だけでは済まないかもね。だからこそ、油断せずに九州方面の安全保障を最大限に強化してもらいたい。
そうですよね!自衛隊の皆さん、1919派は手ごわいです!気をつけてください!韓国の皆さん、現実に目を向けるべきです!日本に勝つことは諦めてください!1000年後にまた会いましょう!さようなら!