- 武田信玄がもし急死しなければ、天下取りの行方は大きく変わった可能性がある!?
- 徳川家康の台頭が阻まれ、江戸幕府誕生も危うくなったかもw
- その意外な理由5つが、今見ると超衝撃的www
みなさん、戦国時代はご存じのとおり群雄割拠の乱世っすよね!? 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など、有名武将がひしめき合うなかで、実は「甲斐の虎」こと武田信玄の存在は超デカかったんです。あの無双状態の強さは周知の事実! しかし1573年、信玄は上洛途上で急死してしまいました。もしも彼が「あと数年、いや半年でも長生きしていたら!?」なんて考えたら、もうワクワクが止まりませんwww
そんな「もし武田信玄が急死しなかったら?」というIF(もしも)の世界線をガチで考えてみると、これがかなりヤバイ結末につながる可能性があるんです。その中でも特に注目したいのが「江戸幕府が誕生しなかったかも!?」という衝撃シナリオ。今回は、その理由を5つご紹介していきます!
目次
【理由1】徳川家康の台頭が阻止されてた!?
まずは何といっても、徳川家康との関係です。史実では武田信玄は三方ヶ原の戦い(1572年)で家康をボッコボコにしちゃいました。しかも家康はその後、織田信長と手を組み、最終的には関東から全国へと勢力を伸ばしていきましたよね。
でも、もし信玄があのまま生き延びていたら? さらに家康にプレッシャーをかけ続け、家康の勢力拡大をストップさせることは十分可能だったんじゃないかと言われています。武田軍の騎馬隊は当時最強クラス。家康の拠点である三河や遠江あたりを完全に制圧されていたら、家康が後に天下を握るなんてストーリーは成立しないですよねwww
【理由2】織田信長との大激突で歴史が変わったかも!?
「織田信長 vs 武田信玄」という夢の対決は一部実現しかけましたが、信玄の急死で本格的な全面衝突は起きませんでした。史実では信長がそのまま足がかりを増やし、浅井・朝倉や本願寺などを蹴散らしていきましたよね。
しかし信玄が生きていたら? 信玄は上洛を掲げていたので、絶対に信長と衝突する運命にあったと言われています。この2人がガチでぶつかれば、さすがの信長も苦戦必至! 下手をすれば信長が負けてしまう可能性だってあったかもしれません。そうなると、織田家自体の勢力もここまで伸びず、当然ながら徳川家康も伸び悩み…結果として江戸幕府は存在しない世界線が誕生していたかも!?
【理由3】「武田家の外交力」が大きく歴史を動かしていた!?
武田家は軍事だけじゃなく、外交力でもかなりの実績を持っていました。川中島の戦いで犬猿の仲だった上杉謙信とも、実は周辺を取り囲む織田家や北条家の動向次第で同盟や共闘の可能性があったとも指摘されています。
もし信玄が生き続けていれば、上杉謙信との間に「反織田連合」が成立していたかもしれません。そうなると信長&家康連合 vs 信玄&謙信連合みたいな超激アツ展開が繰り広げられた可能性大w さらに、当時は西にも毛利家や石山本願寺のような反信長勢力が存在。状況次第では「全国反織田包囲網」が一気に動き出すかもしれず、家康が天下を握る未来が遠のいたはずです。
【理由4】豊臣秀吉の急成長を抑制できた可能性も!?
信長亡き後、いきなりヒーローのごとく登場したのが豊臣秀吉ですよね。もし信玄が健在だったら、信長も天下取りに苦戦し、必然的に秀吉が頭角を現す時期も遅れていたかもしれないのです。下手をすると、信玄・謙信連合に対して秀吉が一時期は下につくような形で、小競り合いレベルからやり直していた可能性も…w
史実では、秀吉は信長の後継としてあっという間に全国をまとめあげ、さらに家康にバトンを渡す形で江戸幕府へとつながっていく流れが作られました。けれど「織田家が苦戦した状態+信玄が絶対的な強さを保ち続けている」って状況なら、秀吉があそこまでトントン拍子で出世することは難しかったんじゃないかと思われます。
【理由5】関東支配から天下統一ルートへ突き進んだかも!?
武田家は甲斐(山梨)や信濃(長野)を抑えていただけでなく、三河(愛知の東部)や駿河(静岡)、そして関東方面へも侵攻していました。特に「甲相駿三国同盟」を結んでいた北条家との仲がどう転ぶかで、関東の支配権争いに食い込めるかどうかが決まるわけです。
もし信玄が生き延びて、北条家との同盟関係を強化しつつ、さらに攻めの手を緩めなかった場合、関東エリアは武田勢力の影響下に入っていたかもしれません。そうなると、家康が後に拠点を江戸へ移して幕府を開く…なんて発想自体が成り立たない可能性もあるwww しかも関東一円を手にしちゃえば財政基盤もガッチリ。そういう状態なら、武田家こそが真の天下統一へまっしぐらに突き進んだかもしれませんね。結果として「徳川家康が江戸幕府を開く」ルートは抹消され、まったく別の日本史が出来上がることに…!
こうして見てみると、「武田信玄がもし急死しなかったら、家康が大成しなかった」「そもそも信長の野望が頓挫していたかも!?」「秀吉ルートが存在しない…!?」などなど、いろいろなif展開が浮かんでくるわけですw 実際の歴史とは違う形で「武田幕府」が成立していたりしたら…ちょっと考えるだけでも胸アツですよね! もちろん歴史に“もし”はないと言われますが、こうした想像を膨らませるのも歴史の楽しみ方の一つ。皆さんも、ぜひ思い思いに妄想を巡らせてみてくださいw
【質疑応答コーナー】
セイジ
プロ先生、もし武田家が信長に勝ってたら織田家はどうなったんすか??
プロ先生
もし武田家が本気で織田家を追い詰めていたら、信長は外交的にも軍事的にも圧迫されていた可能性が高いです。歴史書によれば、織田家は急速に領地拡大を進めた一方で内政や諸勢力との関係にはまだまだ不安定な部分がありました。武田が攻略に本腰を入れれば、織田家中でも離反や裏切りが相次ぐ事態もあったかもしれません。そうなると信長が失脚して、代わりに武田家が天下に手を伸ばす展開になっていた…かもしれないですね!
セイジ
でも武田軍が滅びた原因って内部問題もあったんじゃないっすか??
プロ先生
おっしゃる通り、信玄の後を継いだ勝頼の時代には家臣団の不和や外交政策の迷走など、いろいろと問題が山積みでした。もし信玄が亡くならず強いリーダーシップを発揮していたら、そうした内部問題がもう少しマシになっていた可能性もあります。勝頼は勝頼で有能な部分はあったのですが、家臣や同盟国をまとめきれなかった点は大きかったですね。そういう意味でも、信玄存命のままなら武田家存続のシナリオはだいぶ違ったはずです。
セイジ
となると、武田家が江戸の地に城を築くこともあり得たんすよね??
プロ先生
可能性は大いにあったと思います! 江戸は湿地帯だったとはいえ、交通の要衝でもあったので、そこを押さえて関東支配の拠点にすることは十分に考えられます。もし武田家が駿河や相模、甲斐といったエリアを確保し続ける流れで関東へ進出していたら、江戸に城を築き「武田幕府」みたいな構想も現実味を帯びたかもしれませんね。
【まとめ】
- 武田信玄が生きていたら徳川家康の天下取りは難易度MAX!?
- 反織田連合や関東進出で歴史がごっそり変わる可能性大w
- 江戸幕府が消え、「武田幕府」爆誕も夢じゃなかったかも!?
ここまで読んでくれてありがとうございま~す!
- 武田信玄があともう少し長生きしていたら…って妄想が止まらないw
- 戦国IFシミュはロマンが詰まりすぎて、永遠に終わらないっすよね!?
- ぜひ自分なりの歴史改変ストーリーを考えてみてくださいw
それでは皆さん、次回もお楽しみに!