- 除夜の鐘は「陽キャ用イベント」ではなく、誰でも参加できる仏教行事です。
- なんでも「陽キャ/陰キャ」で語る癖は、本人の人生をじわじわ削ります。
- 年末年始はイベントを馬鹿にするより、「来年どう生きるか」を静かに決めたほうが圧倒的に得です。
目次
はじめに
「無職高卒の友人が『除夜の鐘って“年越し”という陽キャしか楽しめないイベントの象徴だよな』と言っていて、さすがに末期だと思いました」という相談は、冗談のようでいて現代あるあるな悩みです。
本来、除夜の鐘は仏教寺院で行われる年越しの習慣で、108回鐘を撞きながら、1年の煩悩や悩みをリセットするという意味合いがある行事です。そこに「陽キャ/陰キャ」バトルを持ち込むと、一気にこじらせ感が増してしまいます。ここでは、そんな友人に対して事実ベースのアドバイスを5つ紹介します。
「除夜の鐘=陽キャイベント」という思い込みのヤバさ
まず押さえておきたいのは、除夜の鐘は
「派手にカウントダウンして騒ぐイベント」
ではなく、
「静かに1年を振り返り、新しい年を迎えるための宗教的・文化的行事」
だという点です。
多くのお寺では、誰が行ってもOK、服装のドレスコードもほぼなし、友達ゼロでも一人でふらっと行けます。参加費無料も多く、むしろ“ぼっち歓迎”レベルのオープンな行事です。
それを「陽キャしか楽しめない」と切り捨ててしまうのは、事実と違うだけでなく、「自分は参加できない側」という設定に自分で自分を追い込んでいる状態でもあります。
さらに、「年越し=ウェーイ系イベント」というイメージも、テレビのカウントダウンや街中のにぎやかな映像に引っ張られているだけの側面が強いです。
実際には、自宅で静かにテレビを見たり、神社や寺に行ったり、家族と過ごしたり、一人でゲームして年越したりと、スタイルは人それぞれです。
つまり、「年越しも除夜の鐘も陽キャ専用」は単なる思い込みであり、そこにこだわるほど本人が損をしてしまいます。ここからは、そのこじらせをほぐすためのアドバイスを5つに分けて見ていきます。
アドバイス5選
1. まず事実を知ろうw 除夜の鐘は「参加資格ゼロ」のオープン行事です
友人の発言で一番の問題点は、「除夜の鐘」についてほぼ何も知らないまま、雰囲気だけでマウントを取ろうとしているところです。
除夜の鐘は、仏教の教えに由来する年越し行事で、多くの寺では
- 108回鐘を撞く(108は人間の煩悩の数と言われる)
- 年越し前から撞き始め、0時をまたいで続けることも多い
- 参拝者が順番に撞かせてもらえる寺も多い(整理券制のところもあり)
という形で行われています。
ここに「リア充かどうか」「学歴がどうか」「職業があるかどうか」は一切関係ありません。
むしろ、社会人だろうが学生だろうが無職だろうが、「今年いろいろあったけど、とりあえず一区切りつけよう」と静かに気持ちを整えたい人に向いている行事です。
事実を知らないまま「陽キャイベントw」と切り捨てるのは、
【教養のなさを自らアピールしている】
のと変わりません。「分からないことをバカにする」のは自分の株を下げるだけだと知ってもらう必要があります。
2. なんでも「陽キャ/陰キャ」で語るクセは、人生ハードモードの入り口です
友人は「除夜の鐘=陽キャイベント」と言いましたが、同じノリで
- 花見→「リア充イベント」
- 海→「陽キャのインスタ用」
- クリスマス→「爆発しろw」
と、何でも二択に分けていないでしょうか。
この思考パターンの問題は、
「世界を“自分が参加できない側”と“できる側”に分け、それを固定化してしまう」
ところです。
一度「自分は陰側」という前提で生き始めると、
- ちょっと興味があることでも「どうせ自分には縁がない」と諦める
- 新しい場所や人間関係に踏み出しにくくなる
- 年を重ねるほど、選択肢が減っていく
という、静かな悪循環に入ります。
「陽キャ/陰キャ」のラベルはネットでは面白くいじりやすいですが、現実に持ち込みすぎると本人の行動範囲を狭めるリスクが高いです。そのラベルに縛られている限り、友人は自分で自分を年末セールのワゴン行きにしているようなものです。
3. イベントをディスる前に、「楽しめない自分」を分析したほうが得です
「除夜の鐘なんて陽キャが楽しむもの」と言ってしまう背景には、
- 誘ってくれる人がいない寂しさ
- 人混みや初対面の場への苦手意識
- 過去に年末年始で嫌な思いをした経験
など、何かしらのモヤモヤがくっついていることが多いです。
しかし、そのモヤモヤを認めずに
「イベント自体が悪い」「楽しんでる人がバカ」
と外側を攻撃すると、その瞬間だけは心が楽になる一方で、
- 問題の本質(自分の不安やコンプレックス)は手つかず
- 人付き合いの選択肢がさらに狭まる
- 周囲から「拗らせてる人だな」と見られる
というコスパの悪い結果になります。
本当は、
「人混みは苦手だけど、静かな場所で年越しするのは好き」
「みんなとワイワイより、一人でゆっくり振り返りたい」
といった、自分なりの好みやスタイルを言語化したほうが、はるかに健全です。
イベントを否定する前に、「自分はどういう過ごし方なら落ち着くのか?」を一度整理してもらうと、年末の自己評価がだいぶ変わります。
4. 年末年始こそ、「他人のイベント」より「自分の来年の計画」にフル投資すべきです
辛口ですが、無職のまま年を越す友人が「陽キャが~」と言っている時間、その数時間を
- 来年受ける資格や検定を調べる
- 履歴書・職務経歴書のたたき台を作る
- 気になる職種の求人をざっとチェックする
来年の目標を3つだけ書き出す
といった作業にあてるだけで、来年のスタート地点は確実に変わります。
除夜の鐘は「煩悩を1つずつ減らす」という象徴的な意味合いがありますが、現代的に言えば
【今年の反省を分解して、来年の行動に変換する儀式】
と考えてもいいでしょう。
- 「だらだら夜更かしして昼まで寝てしまう癖」
- 「スマホでSNSや動画を見続けてしまう癖」
- 「やりたいことを先延ばしする癖」
こういった“108個どころではない日常のクセ”を、年末年始に一度リセットするつもりで見直すと、年明けの1か月がかなり違ったものになります。
「陽キャうらやまw」と外を指差すより、「来年の自分」をノート1枚に書き出すほうが、静かだけど圧倒的に強い行動です。
5. 無職ネタで笑ってる場合じゃない!? 小さくてもいいので「次の一歩」を決める
友人が自虐半分で「無職だからさ~」と笑いながら年末を過ごしている姿は、一見ノリが軽くて面白く見えるかもしれません。
しかし、現実としては
- 空白期間が伸びるほど就職・転職の選択肢は減りがち
- 若いほど「やり直し」が効くのに、その時間を削っている
- 自分の評価(自己肯定感)が年々下がっていく
という、じわじわ効いてくるリスクを抱えています。
ここでできる“辛口だけど優しい”アドバイスは、
「年末年始のうちに、最低1つ『次のアクション』を一緒に決めよう」
と提案してあげることです。例えば、
- ハローワークや就職相談に一度だけ行ってみる
- 興味のある業界の求人情報サイトに登録する
- 資格・検定のパンフレットを取り寄せる
- 週3~4日のアルバイトから探してみる
など、ハードルの低いものからで構いません。
「除夜の鐘は陽キャイベント」と切り捨てるのではなく、
「この鐘が鳴るまでに、来年の一歩を決めるタイムリミット」
くらいのノリで使ってもらえたら、その友人の人生にとっては相当意味のある年越しになります。
質疑応答コーナー
セイジ
除夜の鐘を聞きに行かない人って、もう人生終わってるって思っていいっすか??
プロ先生
さすがにそれは極端すぎます。除夜の鐘に行く・行かないは、あくまで価値観や生活リズムの問題です。ただし、「どうせ自分には関係ない」と最初から切り捨てるクセがある人は、人生のチャンスも同じように切ってしまいがちです。だから「行かない人=終わってる」ではなくて、「何でも最初から諦める考え方は危ないよね」という視点で見たほうがいいっすね。
セイジ
友人に『除夜の鐘は陽キャイベントじゃないよ』って正論ぶつけたら、絶対嫌われるっすよね??
プロ先生
オススメは、「実はさ、除夜の鐘って誰でも行けるし、むしろ静かで落ち着くよ?」と、事実ベースで軽く共有する形です。「お前間違ってる」ではなく、「こういう一面もあるよ」と情報を足してあげるイメージです。それでも拒否反応が強いなら、そこはもう相手の課題なので、必要以上に踏み込みすぎないほうがいいっすよね。
セイジ
正直、友人も『どうせおれはこっち側だし』って考えがちで、ちょっとこじらせてる気もするんすよ…年末からでも立て直せますか??
プロ先生
むしろ年末は立て直しに最高のタイミングです。いきなり性格を変えようとせずに、「来年やってみたいこと」を3つ書く。「もうやめたい習慣」を3つ書く。これだけでも、かなり頭の中が整理されます。完璧な陽キャになる必要はゼロなので、「去年よりちょっとマシな自分」を目標にするぐらいがちょうどいいっすね。
まとめ
- 除夜の鐘は「陽キャ専用イベント」ではなく、誰でも静かに参加できる年越しの伝統行事です!
- なんでも「陽キャ/陰キャ」で切り捨てるクセは、自分の可能性と選択肢を削る危険な思考パターンです!!
- 年末年始はイベントをバカにする時間を削って、「来年の一歩」を決めるほうが、人生的には圧倒的にお得です⇒友人にもそっと共有してあげましょうw


























