- 世界は自分のもの?信じられないほどの自己中心的行為が話題に!
- 祈りのためなら何でもあり?交通を妨害する信仰心が引き起こす社会的波紋!
- 礼拝の自由か、社会秩序か?高速道路での祈りが投げかける重大な問題!
ほっほっほ、この話題にな、ワシは驚きを隠せずにおる。どうしてこんなことが起きてしまったのか、昔では考えられんことであった。高速道路を塞いでアッラーに祈るとは、考えられん!そういう場所でやることではないと思うのだが、今の世は自由があまりにも死んでおる。
これを見ると、どうしても思い出すのが新紙幣の話。あれも急に変わってしまって、ワシら70代にはついていけん。昔は100円札があったのに、今はどうだ。自由が足りんのだ。ワシが死んでも、この自由の精神は生き続けるべきである。
「彼は刑務所に入れられて自由に礼拝すべきだ」「どんな素晴らしい宗教だ!」「もし病気の息子のために薬を買いに行く母親がそのバスにいたらどうするんだ?」こんなコメントが飛び交っておる。世の中には場所と時間があるというのに、なぜ彼らにはそれが適用されんのか。自由とはそういうものではない。もっと心の広い、理解し合える社会にならねばならんのだ。
He blocks highway to pray to Allah. Beyond imagination. pic.twitter.com/7OIRvsAO2V
— RadioGenoa (@RadioGenoa) April 2, 2024