- 「心臓が2部屋=ほぼ魚」は生物学的に乱暴で誤りが多い。
- 肺魚の心臓や水中の音の世界は、発言者の比喩と一致しない。
- 会話のテンポは脳の機能。心臓の“部屋数”とは別問題。
目次
はじめに
「こないだGoogleのエンジニアが“生まれつき心臓が2部屋しかない”と言ったので『水族館に行け』と返したら…」という投稿が話題になりました。たしかに比喩としてはキャッチーですが、医学・生物学の事実とズレが多く、フォロワーが「何を言ってるのか分からない」と反応したのも納得です。本稿では、感情論ではなく事実に基づいて、反論を5つに整理してお届けします。
【反論5選】
①【「魚と同じ」は雑すぎw】——魚は“1心房+1心室”、人の先天性心疾患は“機能的単心室”でも構造が違う!?
「魚は2部屋=人の“2部屋”も魚に近い」は短絡です。魚類の心臓は基本的に1つの心房と1つの心室の直列構造。一方、人の「心室が1つしか十分に働かない」タイプ(いわゆる単心室群)は、左右の心房が存在し、外科手術(ノーウッド/グレン/フォンタンなど)で循環を作り直して生きていく“ヒトの循環”です。構造も循環様式も魚とは別物。「ほぼ魚」は科学的には成立しません。
②【「肺魚を見習え」って…そこで肺魚!?】——肺魚の心臓は“部分的な隔壁”と“移行的な二重循環”、比喩がズレてる!?
肺魚は進化上ユニークで、心室に部分的な隔壁があり、肺と鰓の両方を使う“移行的な二重循環”を示します。つまり「魚=単純2部屋」とも違うし、「人の先天性心疾患=肺魚」とも一致しません。「肺魚を見本に」は生物学的にミスマッチ。水族館を勧める前に、肺魚の循環の特殊性を確認するべきでしたw
③【「水中のほうが正解」論】——水中は声の速度こそ速いけど、コミュニケーションはむしろ難易度アップ!?
「水中モデルだから水族館へ」はロマンがありますが、音は水中のほうが空気中より速く(約1500m/s vs 約340m/s)伝わる一方、減衰や反射、方向感の取りづらさなどで人間の会話は水中で容易にはなりません。速度だけ見て「意思疎通が合うはず」は飛躍。物理の基本を当てはめても、比喩の根拠は弱いのです。
④【会話のテンポ=脳の仕事】——言語・発話はブローカ野/ウェルニッケ野など“脳回路”が担う。心臓の“部屋数”とは別件!
「スピード感や会話で遅れる感じ」を心臓の構造に絡めるのは、当事者の経験として尊重しつつも因果の取り違え。言語の生成・理解は脳の特定ネットワークが司り、医学的にも失語は脳の障害で説明されます。心臓の形態そのものが会話テンポを直接決めるという根拠はありません。
⑤【医療的リアリティ】——単心室サバイバーは“冗談にできない”複雑さとケアが必要。軽いラベリングは避けたい!?
単心室群の患者さんは小児期から複数段階の手術を経て、成人後も専門的なフォローアップ(フォンタン循環の長期管理)が必要です。大きな手術痕もその履歴。アイデンティティを「ほぼ魚」で括るより、医学的な配慮と個の尊重が先。面白い比喩に見えても、現実の生活・健康管理と整合的ではありません。
質疑応答コーナー
セイジ
「魚の心臓が2部屋って話、本当なんすか??」
プロ先生
「基本は本当。魚は1心房+1心室の直列循環です。ただし“人の単心室=魚と同じ”ではない、ここが重要です。」
セイジ
「肺魚が“人に近い”ってのはマジっすよね??」
プロ先生
「“一部は近い”が正解。肺魚は部分的な隔壁と二重循環の萌芽があるけど、人の四腔心や先天心疾患の循環再建とイコールではありません。」
セイジ
「会話が遅れる感じを“心臓の部屋数”で説明するのはアリなんすか??」
プロ先生
「ナシ寄りです。会話テンポは脳の言語回路の仕事。体験としての比喩は尊重しつつ、因果は脳機能側で考えるのが科学的です。」
まとめ
- 「ほぼ魚」説は、魚類・肺魚・ヒト先天性心疾患の事実を並べると崩れる!
- 水中コミュニケーションは物理的制約が多く、“正解”とは言いづらい!
- 会話テンポは脳の領域の問題。心臓の“部屋数”で語るのは無理筋!