- ・「ASD=共感性が低い」単純化は不可。情動的共感は保たれる/高い例も多く、認知的共感の難しさや併存特性が影響します。
- ・「AFがゴミ」ではなく注意配分の最適化が異なるという有力モデルがあり、状況依存で視線は変わることが実験で確認されています。
- ・「MF(手動で共感)訓練しろ」はカモフラージュ推奨の危険も。メンタル悪化との関連が多数報告されています。
目次
はじめに
インフルエンサー氏の「ASDは共感性が低い/AFがゴミだからMFを覚えよ」という比喩は、一見わかりやすそうで実は雑です。最新の研究は、ASDにおける共感の在り方を「低いか高いか」の二択で語れないと示しています。注意の向け方は“故障”ではなく“違い”。しかも「手動で合わせろ」式の努力は、ときに健康リスクすら伴います。以下、反論5選をデータでどうぞ。
反論①:「ASD=共感性が低い」決めつけは雑w――共感は“二層”で見ないとハズす
共感は大きく「情動的共感(相手の感情に感じ入る)」と「認知的共感(相手の気持ち・意図を推論する)」に分かれます。大規模レビューでは、ASDでも情動的共感は保たれる(あるいは個人差大)一方、認知的共感に難しさが出やすいという“非対称”の指摘が繰り返されています。さらに2025年の系統的レビューは、測定法によって見え方が大きく変わる点(例:共感の下位尺度で効果が逆方向になる)を強調。つまり「共感=ひとつの数値」では語れません。
加えて、「共感の低さ」はASDそのものではなくアレキシサイミア(感情同定の困難)が説明する、という有名な仮説・実証研究も。顔感情認知の困難はASDではなくアレキシサイミアが主に予測した、とするデータは頑健です(Bird & Cookら)。「ASD=共感低い」を安易に当て込むのはエビデンス的に弱いのです。
反論②:「AFがゴミ」ではない⇒“別の最適化”だ!――注意配分モデルと視線研究
ASDの知見を束ねた「拡張知覚機能(EPF)モデル」は、細部処理や低次知覚の強み、情報処理ネットワークの使い方の違いを示しており、「壊れたAF」ではなく異なる設計思想に近いと説明します。
視線(アイ・トラッキング)研究でも、「常に人の顔にピントが合わない=AFが壊れている」ではありません。タスクの指示や文脈で視線配分は変化し、初期の顔への定位が保たれるケースも。つまり、ASDの注意は状況依存でチューニングされるのです。
脳ネットワークでもサリエンスネットワーク(何に注意を割くかのハブ)などの結合差が報告され、社会的刺激への優先度づけの軌跡が異なる可能性が示唆されています。これは「AFがゴミ」ではなく「優先度アルゴリズムが別」という話に近い。乳児期の結合差が後の社会的注意の発達に影響するとの縦断研究もあります。
反論③:「MFを覚えればOK」=カモフラ推奨の罠!?――健康リスクのエビデンス
「MFを覚えよ」という助言は、実質カモフラージュ(自閉特性の隠蔽・代償)の勧めになりがちです。ところが研究は、カモフラが不安・抑うつの増大、ウェルビーイング低下、燃え尽きと関連することを繰り返し示しています(CAT-Qという尺度を用いた多くの研究)。短期的に“社会的適応”っぽく見えても、中長期では健康コストが重い可能性が高いのです。
近年のレビューでも、カモフラは「やればやるほど良い」ものではないと明確化。環境側の調整と双方向の歩み寄りが重要、と結論づけられています。
反論④:「8,000人に奢った体感=真実」ではないw――測定とバイアスの基礎
大人数への奢り経験はユニークですが、代表サンプルでも無作為化でもない以上、一般化には不向きです。学術研究ではEmpathy Quotient(EQ)やInterpersonal Reactivity Index(IRI)などの標準化尺度を用いますが、同じ“共感”でも下位尺度次第で結果が変わることが最新メタ解析でも強調されています(例:他者への思いやりは低く、個人的苦痛は高い等)。測り方で見える景色が違う——これが科学の結論です。
また、「ASD=共感低下」は併存特性(アレキシサイミアなど)で説明がつく場合があることも示されており、体験談を普遍化するのは危険です。
反論⑤:「共感は受信側だけの問題」じゃない⇒“ダブル・エンパシー問題”が鍵
ASD当事者と定型発達の人の間では、相互の誤解が起きやすいという理論がダブル・エンパシー問題。当事者同士だと情報伝達やラポールがむしろ高いという実験もあります。これは「ASD側のAFが壊れている」のではなく、神経型の違いで“言語(ノリ)”が噛み合わないという視点です。
さらに、同タイプ同士での情報伝達は効率的だが、交差ペアで低下するという成績は複数研究で再現。誤解は双方向で起きるから、片側だけに「MFで頑張れ」と迫るのは不公平——これが近年の主張です。
質疑応答コーナー
セイジ
「結局、ASDでも“感じる力”はちゃんとあるケースが多いってことっすか??」
プロ先生
「はい。情動的共感は保たれる/高い人も珍しくありません。ただし認知的共感や情報推論の負荷がかかる場面で難しさが出やすい、という非対称性が要点ですっす。測定法や個人差も大きいです。」
セイジ
「“AFがゴミ”じゃなくて“優先度アルゴリズムが違う”って理解でOKっすよね??」
プロ先生
「その比喩の方が近いです。EPFモデルやサリエンスネットワークの研究は注意配分の違いを示します。文脈・指示で視線配分が変わるデータもあり、“常に人に焦点が合わない”わけではありません。」
セイジ
「“MFで頑張れ”は短期技だけど、やり過ぎるとメンタル壊すリスクあるってことなんすか??」
プロ先生
「その通りです。カモフラは不安・抑うつ・燃え尽きとの関連が繰り返し報告。『両者で歩み寄る』『環境を整える』方が持続可能です。」
まとめ
- 「ASD=共感低い」単純決めつけは不可。二層構造&測定依存で“見え方”が変わります!
- 「AFがゴミ」ではなく注意配分の違い。文脈・指示で視線も変わる⇒“別の最適化”です!
- 「MFで頑張れ」一辺倒は危険。カモフラは健康コスト増⇒相互適応と環境調整が鍵!









































